言の葉と文字列のあいだ

少しの間、あなたの時間をください。

森見登美彦さん『美女と竹林』を読んで

 こんばんは。

 まだ挨拶以外何も言ってないのに閑話休題。テーマとは全く関係ないのですが、前回の記事で書きました、山の日のキャンプに家族とともに行ってきました。キャンプということで、小学校2年生の姪はテントに泊まることを強硬に主張したそうなのですが、この僕が暑いさなかにテントに泊まるなど耐えられるはずもなく、また特に夜などはかなり不用心ですから、ここは大人と弱者の判断でロッジに泊まることにしました。BBQも楽しかったし、夜はエアコンの効いた部屋でリオ五輪を横目に家族麻雀をしました。言うまでもなく僕の2戦2勝でありましたが、与えられるのは家族の尊敬と最高の栄誉と「相変わらずえげつない麻雀しやがって」という褒め言葉のみなのです。家族麻雀界における絶対正義は「勝利至上主義」であり、奥ゆかしさや思いやりではないことを敗者どもは思い知ったことでしょう。

 

 さて本題です。

 ブログ開設時の最初の記事にて、以前別のブログサービスでブログを書いていたと書きました。

stiltzkin.hatenablog.com

 当時のブログもいろんな記事を書いたのですが、その中で読書記事も結構書いていて、アクセス数も他のジャンルの記事に比べて多くいただいていました。そしてブログを書かなくなって、読書メーターに簡単な感想を書くようになったのですが、あそこは文字数制限が厳しく、どこがどう「面白かった」のか「面白くなかった」のか、あるいはそこから自分がどう「考えたのか・感じたのか・学んだのか・変容したのか・見切ったのか」ということを、きちんとした文章で伝えることは無理なのかなと思います。あと、僕は使っていませんが、ブクログAmazonのレビューは「☆いくつ」で評価するシステムがありますが、評価が楽な「☆いくつ」のシステムは、ユーザーはどうしても自分のつけた☆の数に引っぱられてしまうので、読書家がせっかくその本から受けた本来の精神性の表現や感想、書評の姿からは遠ざかってしまうのではないかと思っています。僕は、感想を☆の数で表現するのはちょっと難しいし、みんなが感想を☆の数に収斂させてしまうのは少し怖いかな。

 まあ能書きはそれぐらいにして、今回は久しぶりの読書記事を書いてみたいと思います。今後、読んだ本全ての記事を書くことは難しいと思いますが、気が向いたら書きたいと思います。

 なお、以下は以前のブログのときもお断りしていたことです。

 理想的な書評というのは、内容やあらすじの紹介と感想とが5:5というのが理想的な比率だというのを何かの本で読んだ記憶があるのですが(ニコ生で岡田斗志夫さんが言ってたのかもしれません)、僕はそういうセオリーどおりの読書記事は書きません。セオリーどおりの感想記事って、ネットにいくらでもありますから、今さらそんなものを書いても面白くないですしね。その点、予めご容赦ください。

 

  さて、今回は、今僕が最も尊敬する作家のお一人である、森見登美彦さんのエッセイ『美女と竹林』を読みましたので、思ったことを書きたいと思います。

美女と竹林 (光文社文庫)

美女と竹林 (光文社文庫)

 

 ちなみにこれ、はてなブログの「Amazon商品紹介」という機能を使って貼り付けているのですが、アフィリエイトの登録とか一切してないのでご安心を。 

 簡単なあらすじ(?)や感想は、読書メーターの方に上げていますので、省略します。読書メーターの方も、お気に入りさんを広く募集していますので、よかったらぜひ。

bookmeter.com

 この作品は、一言で言うと、とにかく「竹林を刈る」というテーマのエッセイをいかに竹林を刈らずに書くか、みたいな壮大な机上空論実験のようなもので、これをしっかり読める一冊に仕上げるところがさすがとしか言いようがないのです。

 このエッセイを読んで、僕もつらく悲しい思い出がフラッシュバックしてきました。

 ちょうど3年前の春に、僕は社内のあるプロジェクトチームに参加することを上司から命令されました。他社のことは僕はよく分からないのですが、弊社ではプロジェクトチーム方式というのは、良く言えば社内から組織の垣根を越えて精鋭を集めて事業を進める手段であり、悪く言えば困りごとがあると組織から切り離して僕のような弱気な人を集めてチームを作って丸投げする最終手段なのです。しかも、プロジェクトチームは本来の職務と必ず兼務するため、プラスアルファの仕事になってしまい、非常に負担が重くどうしても後回しになりがちなのです。しかもその時は、前任のプロジェクトリーダーが、予期せぬ人事異動でプロジェクトに関われなくなってしまったことによる再編成で、そういうときは普通チーム内部のメンバーの誰かが新リーダーに昇格するのが筋だろうと思うのですが、その時に、プロジェクトの存在は知っていたものの見て見ぬふりをしていた僕に良く言えば白羽の矢が立ち(悪く言えば罠に嵌められ)、上司の命令でいきなりリーダーとして放り込まれたのです。メンバーは10人ほどで、良く言えば新進気鋭の精鋭たち、悪く言えば新進気鋭のお人好したちでした。

 このプロジェクトは、具体的には書けないのですがある事業に関する調査研究チームで、1年半後の夏には成果報告を大きな学会だか研究会だかで発表しなければならないことになっていました。しかも、研究論文も書かなければならず、集録として有償で頒布されるため40,000文字程度というノルマまでありました。まあそれは、一夜にして14,000文字オーバーのブログ記事を書く僕からすれば、そのうち本気を出せば万が一には何とかなるかもしれない文字数か、と少し甘く考えていました。

 しかし、現実はそんなに甘くなかったのです。僕が2代目プロジェクトリーダーに就き、過去1年間の成果物を前任のリーダーに求めたところ、「そんなものはありません。逆にあると思ってましたか?」という開き直りとも逆ギレともとれる回答があり、目が点になりすぎて完全な白目になるぐらい驚きました。まあ僕が見て見ぬふりをしてきたのも、どうも「こいつら全然プロジェクト進んでないんじゃないか」というようなえもいわれぬ不安感を肌で感じていたからなのではありますが、1年間の成果がゼロ、1文字たりともないとは、もはや逆に清々しいほどで、ここがサバンナだったら全力で一発殴っていたところです。

 でも、着任早々に論文には着手しなければ間に合わない。今思えば、あの時僕の足にまとわりついていた小さいおじさんこそが締切次郎だったのかもしれません。

 僕は悟りました。このチームは大事な1年を無為に過ごし、成果らしい成果も挙げていない。成果はこれから作っていく。ただ、いわゆるPDCAサイクルを1回まわすだけでも最低1年は必要なのに、原稿の締切は4か月後に迫っている。そう、何かが僕に、質量保存の法則を超越し、無から有を創造せよと命じている!PDCAサイクルは現場で回すんじゃない、机の上で回すのだと!

 そこから僕は、妄想と言っても差し支えないような机上空論実験を繰り返し、あるはずのない成果を錬金術師の如く机上で創造し、現状を大天使のように肯定し、データを意のままに解釈し、謎のカタカナ語や難解な四字熟語を駆使し、誰も読んだことがないようなドイツ人の文献を合法的に引用したりしながら、締切前にノルマを大きく超える45,000文字の原稿を書き上げたのです。あの時は、もし僕が中世ヨーロッパに生まれていたならホムンクルスの一つも作り出せていたのではないかと思うぐらい頑張りました。

 そして、僕が悪魔に魂を売ったとの誹りも免れぬ鬼畜の所業で時空の歪みからこの世にひねり出した、ただただ読み手を翻弄し議論を迷宮に誘い込むためだけの論文は、難解すぎてプロジェクトのメンバーすら全く理解できない仕上がりとなり、チーム内での審議に真空のような無風状態を生み出し、稟議にかけてもほぼ無修正で決裁が下りるという前代未聞の事態になりました。きっと上司の未決箱の付近も時空が歪んでいたのでしょう。僕は恐怖感と罪悪感と達成感で灰になり、その後本番直前に僕も人事異動になったため、リーダーから解放されました。もちろん、心底ほっとしたのは言うまでもありません。あの後、論文から発表原稿やプレゼン原稿を起こした人、誰だか知りませんが本当に困惑したことでしょう。書いた本人も理解していなかったのですから。僕も発表は聞きに行ったのですが、正直本当に何を言っているのか分かりませんでした。僕が新手の言論封殺の手段を生み出した瞬間を見たとも思いました。

 完全に脱線しましたが、多分『美女と竹林』も、だいたいこんなプロセスで生み出されたエッセイなのかもしれません。違うかもしれませんけど。

 人は追い込まれれば、森羅万象を遍く机上で生み出せる。机上に生きる多くの人々に夢と希望を与える森見さんのエッセイ、とても面白かったです。もしよろしかったら、ぜひ。

 では。